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真珠業界 温故知新 ドイツ編(その1)

写真:デュッセルドルフ


「真珠業界 温故知新」国内編に続き今回は、ドイツのデュッセルドルフで約35年間、真珠取引に携わってこられた弊社取締役の川本博保氏にお話を伺いました。インタビュー前半は主として現地での仕事についてお聞きしましたが、後半ではドイツのビールやワイン、食事や観光について≪川本氏のおススメ≫も教えていただきました。業界のお話のみならず、ドイツ訪問時に参考になる情報も詰まったインタビューとなりました。(文中敬称略)

インタビュアー(以下I):早速ですが、デュッセルドルフで仕事を行うようになったきっかけを伺えますか?
川本:勤務していた日本企業が、他社のマレーシアにおける真珠養殖事業を引き受けたことが発端。ここで真珠が産出されるようになり、バイヤーが来日するのを待つより海外で販売する方がよい、という流れが社内上層部で醸成されました。1971年ころの話です。当時はヨーロッパへの真珠輸出先はドイツが一番多かったですね。会社はベルギーからダイヤモンドも輸入していましたが、その取扱支店がデュッセルドルフにありました。

I:そういうことでしたら、デュッセルドルフを拠点と考えるのも頷けますね。
川本:そこで1971年3月、マーケットリサーチのために渡独し、先ほど話したダイヤを取り扱っている店に委託して真珠のトライアル販売をデュッセルドルフで約3か月にわたり実施。帰国後、結果を報告したところ「お前に任せるよ」という話になり、同年8月に現地でスタートをきることになりました。私が29歳の時でした。

I:商取引上で日本との違いは感じられましたか?
川本:ドイツには約束手形はないですが、取引手法自体の違いは特に感じなかったですね。私たちは現金取引か口頭で約束した取引を行っていました。

I:約束手形は、昨今は日本でも使用頻度がかなり減ってきました。では、真珠の好み、という点では日本とドイツの違いはあるのでしょうか?
川本:この点ではかなり違いがあります。テリが非常に重視され、ラウンドよりドロップの形の良いものの方が好まれ、高く売れました。また、ドイツ人は白系の真珠を好みますが、フランス人はクリーム色がかったものを好むという傾向も見られます。1980年より少し前、ビルマの入札会でビットした真珠のうち、テリが良く、ボタンやバロック形の真珠をセレクトして商売したところ、評価額の倍くらいの高値で取引成立したことも思い出しますね。

I:ちなみに真珠はドイツでは人気のある宝飾品ですか?ゴールデンパールの認知度はどうでしょう?
川本:人気がない、わけではないのですが、当時を振り返ると天然真珠、養殖真珠の違いだけではなく、イミテーションとの違いも一般のドイツ人はよくわかっていませんでした。輸入組合はあったものの一般向けの広報宣伝活動をしなかったこともあり、一般の人たちの養殖真珠への知識は乏しい状況でした。これは日本とかなり違うのではないでしょうか。まして、南洋真珠に至っては「何それ?」という感じでした、そもそもあまり売れなかったし。当然、南洋真珠だけでは採算が取れないので、アコヤや淡水真珠なども含めたあらゆる真珠を取り扱っていました。ゴールデンパールは、私がドイツにいた当時はほとんど出回っていませんでしたね。でも、今でこそ業界内では「ナチュラルゴールドと言えばカラミアンパール」ですが、ゴールデンパールは今もって日本でもまだ認知度はそれほど高くないのでは?

I:そうですね。弊社の取扱商品ですが、市場流通量は少ないこともあり、残念ながら認知度は低いと認めざるをえません。ところで、ドイツ語はどのように習得されたのですか?
川本:同行した妻には現地でドイツ語を学ぶ学校に行ってもらいました。妻がホームシックになって帰国してしまったら、私は立ち行かなくなりますからね。妻はそこですぐにフランス人の親しい友人ができ、私より早くドイツ語を習得しました。私自身で言えば、渡独前に挨拶程度のドイツ語は覚えましたが、仕事に追われ精神的にも余裕がなく、語学学校に行くことはなかったです。そのため、1年くらいは英語でコミュニケーションを取っていました。1年経つと日常会話程度はドイツ語で話せるようになりましたが、帰国すると「もうドイツ語はペラペラだよね」と会社の人たちに言われ「これは、まずいぞ」と。会社で購読していたドイツ語の新聞はよく読んでいましたが、妻が使っていた教材を借りたりして自学自習をするうちに、日常、商売を問わずドイツ語で意思疎通ができるようになりましたね。使用言語は英語からドイツ語へ変わりましたが、いずれの場合も現地スタッフや取引先とのコミュニケーションに特に苦労は感じなかったですよ。

I:大学で4年間、ドイツ語を学んだにも関わらずモノにならなかった私は「素晴らしいです!」としか言いようがありません。ところで個人的興味があり、伺いたいことが。学生時代、ドイツ北部出身教授が「南部はなまりが強い。私の出身地区のドイツ語が標準語!」と声高に主張したのを今でも覚えているのですが、そうしたことを感じたご経験はおありですか?
川本:ああ、教授が言ったことはわかります。ドイツ南部にプフォルツハイム(Pforzheim)という町があります。そこは、日本で言えば宝飾業者が数多い甲府のようなところです。そこの工場で商売交渉をしたことがあり、私たちと相手方とのドイツ語での質疑応答はスムースにできました。ところが、相手が仲間内5人で話しているドイツ語は聞いていても全くわかりませんでしたよ。

I:教授が語っていたことは「盛っていない」と納得できました、ありがとうございます。次にドイツで一緒に仕事をした方々について伺います。今でも特に印象に残っている人を挙げていただけますか?
川本:それは何と言ってもウンターブリンクさん(Frau Unterbrink)ですね。彼女はドイツ大手企業の社長秘書をしていた人でしたが、私がドイツで知り合いになった時には求職活動をしていました。英語もフランス語もできる有能な人で、先ほどお話した私が渡独して1年間、英語で話していたのは彼女のことです。ドイツのGmbH(Gesellschaft mit beschränker Haftung:日本の有限会社に相当)には代表者2名が必要で、彼女に私と共同経営者、そして株主にもなってもらいました。また、彼女の妹の夫が弁護士だったこともあって、ドイツでの会社設立を随分助けてもらいました。会社を立ち上げ、その後クローズするまで、彼女とはずっと良いパートナーシップで仕事をすることができました。私のドイツでのキャリアは彼女抜きでは語れませんね。

I:ドイツの会社をクローズされたのは2007年ということですが、支障なければ理由をお聞かせください。
川本:渡独して7〜8年後、ドイツ大手デパートと取引を開始しました。当時、このデパートは約60の支店があったのですが、取引はメンバー制が敷かれ、会員でなければ売買ができない、という独特なものでした。主として私たちはアコヤ真珠を取り扱っていました。毎年1度オファーを出し、サンプル商品に対して、デパートの各支店から「これ○本、あれ○本」のように注文を受けて納品します。これは商売の目星がつく安定した取引でした。会社をクローズした理由はいくつかありますが、1番大きいのは1995年頃から中国製の真珠が出まわるようになったことです。ご存知のように中国製は安価なものが多い。価格破壊が急速に進み、私たちの商売にも大きく影響しました。採算性なども含め総合的に判断し、会社をクローズすることを決めたのです。

I:そうでしたか・・。では、前半最後の質問です。日本では景気低迷もあり、昔に比べ一般顧客の宝飾品への購買意欲が減少しているように見えます。ドイツでは如何でしょうか?
川本:ドイツを離れて随分経つので、私が現地にいた時の印象になりますが、ドイツは日本ほど景気に左右されないように思えました。一定程度のニーズがあり、需要の上下動が少ないように見えました。国民気質も関係するのかもしれませんね。

※次回は真珠の話を少し離れ、川本氏のドイツおすすめ情報が満載の(その2)に続きます。

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